ちいさなひとつぶの木苺のように
10/16/2025(木)

詩誌 Quark No.24
日々、広島市と三原市を行き来しているご縁から、お誘いいただきました。
夏のあいだ、手術のため、おやすみをいただき、少し遅いご紹介となりました。
おやすみのあいだに、素敵な手作りのうちわもいただきました。
木苺の風を感じながら、木苺摘みをした日々をいつの日かまた…。
赤いちいさなひとつぶの木苺の、すっぱくてあまい記憶は
いつまでも鮮明に立ち上がって。
「かめの巣」
☆
六歳のわたしの絵日記は
きれいに梱包されて不意に届いた
ティッシュペーパーを敷き詰めた紙箱の巣
見つけたすずめのひなは
羽毛の乏しい露わなからだで
黄色いくちばしはいっそう大きくみえた
淘汰される生に食す力は残されていない
薄い白い瞼の向こうに開こうとする黒い瞳が透けていた
一瞬だけ見えた鋭く刺さる眼光
生きる、野性
食す、野性
☆
かめ
すずめのひなは一瞬だけ
野性を薄く包み名をもった
死す、野生
食される、野生
四十年の間どのように生きめぐってきたのか
かめは簡単には頷かない
戻ってきた絵日記に添えられた
傘寿となったあなたから今日のわたしへ
末筆にそっと草の小石が置かれていた
☆部分には、
6歳のわたしの絵日記の文章を挟んでいます。
子どもの少ない語彙から選ばれた拙い表現のなかには
まっすぐに立ち上がってくる確かな生まれたばかりの「言葉」の
肌感覚があり、不思議なほどに
どこまでも澄やかに奥へ遠くへ運ばれながら
そしてもっとも近くへと引き戻されて響いてきます。
いつも子どもの心を大切に育んでくださった保育園の先生からの突然のプレゼントとお手紙に感謝の気持ちを込めて。
40年もの間、私の絵日記を大切に保管してくださっていました。
絵日記を開きながら
真ん中に在る小さな種のような、真珠のような
幼いころのわたしと向き合う時間をいただきました。